本日の釣果
このイワナは順調だったのですが別のポイントで大きいのを3回釣り
落としました。同じイワナが3回食いつくとは驚異だが4回目はさす
がにありませんでした。釣り針を0.6から0.8のハリスに変えて
も切られるのだから仕方がない。次回は1.0で臨もうと思います。
このイワナは順調だったのですが別のポイントで大きいのを3回釣り
落としました。同じイワナが3回食いつくとは驚異だが4回目はさす
がにありませんでした。釣り針を0.6から0.8のハリスに変えて
も切られるのだから仕方がない。次回は1.0で臨もうと思います。
時節柄レストランはテイクアウトが盛んであるらしい。
新保店を利用しました。持ち帰り用メニューに数量をいれて店員に渡
します。
辛味チキン 290円
プチフォッカ 130円
マルゲリータピザ 390円
ぺペロンチーノ 290円
合計1100円で十分なボリュームです。さすがに冷めるとうま味が
半減するようで特にパスタは店で食べたほうが良いでしょう。オリー
ブオイルとケチャップで炒めなおしたのだがこれで良し。辛味チキン
はおすすめです。
小松基地側の道路脇から撮影しました。
道を横切る誘導灯のようなものがあるので着陸のコースになっている
ようです。
2機でのタッチアンドゴーもあります。
旅客機も同じコースで着陸します。15時から16時頃は旅客機の着
陸が少ない時間帯です。訓練のため自衛隊機の離発着が多いはずと思
っていたが少ないです。3時の休憩なのでしょうか。
桑名市多度町にある神社で伊勢神宮を擁する三重県でも参拝者は4番
目に多いらしい。
伊勢神宮との関係が深く、伊勢参りの後こちらに参らないと片参りと
されたという。
こちらの神社では5月初めに行われる上げ馬神事が有名です。南北朝
時代から行われ、馬を奉納する行事が祭へと発展したらしい。例年も
のすごい人で賑わうのだが今年はコロナウイルスの影響で中止です。
この神事が中止となるのは約400年ぶりらしい。私も一度見たこと
があるのだが騎手はガンガン酒を飲んでいるし、馬をバシバシ棒でた
たいて無理やり坂を登らせているようで見ていてあまり気分の良い物
ではなかった。
本宮。天津彦根命を祭神としているらしい。
多度町国道258号線より少し入ったところにあります。にっぽん縦
断 こころ旅で火野正平氏が珍しく「美味かった」と言った店ですね。
しゃれた外観の店です。
一人であることを告げると奥の奥に案内されます。客は私一人であっ
て火野正平が訪れていることから賑わっているかも知れないと思って
いたのだがおかしいな。店員は入り口付近に移動して極力私からは離
れているようだ。
何種類かあるピザランチを註文しました。もちろんパスタランチも豊
富にあります。
生ハムの下にはこのようなものが。
ほどなくピザが運ばれてきます。半熟玉子が溶けたチーズと絡まって
不思議な食感です。ピザの味は良いのだが、周りの焦げが多いように
感じる。これが喉を通過する際、引っ掛かりが発生してむせることに
なる。時が時だけに店内でゲホゲホやるわけにもいかずつらい思いを
しました。
追加のデザート。ティラミスとアイスで300円です。ティラミスが
あれば必ず注文してしまう私。
デザートに合う苦みのあるコーヒーでした。ピザの皿を下げる際飲み
干した水を頼んでいたのだが運ばれてきませんでした。再度水を頼ん
だのだがサービスの評価は1とします。この後も入店者はなかったの
だが店を維持していくのも大変だね。
七里の渡しとは江戸時代始まりの頃東海道における唯一の海上路で、
熱田宿と桑名宿間は海路で通行する事とし、その距離が七里であった
ことに由来する。ブラタモリでは熱田側が紹介されていましたね。
こちらは桑名側で揖斐川と長良川が合流する河口近くになります。
伊勢の国東玄関として鳥居が建てられたらしい。現在は伊勢神宮宇治
橋の鳥居を使用しているという。
前方に見える白い建物は水門の管理棟になっているようだが昔にもあ
ったらしい。
浮世絵に描かれています。この辺りに多くの船が係留されていたので
しょう。
遺構らしきものはほとんど残っていないので歴史を感じたい者には残
念な状況です。周辺は公園として整備されていて河口をのんびりと歩
く人が見受けられました。散歩には良い場所だと思います。
この時期にどうかと言われそうだが、金沢での結婚披露宴です。
リンゴジュースで乾杯の後、紅白の雑煮が出たのですがこれは撮り忘
れました。
近江市場直送魚介のタルタル仕立て赤キャベツソースとプロヴァンス
風ソース。
ビールからスタートですがグラスでのみ提供されます。
五郎島金時のポタージュスープカプチーノ仕立てパルマプロシュート
のグリッシーニを添えて。この細長いパンをグリッシーニというらし
い。ハムは少なくてあまり味を感じなかった。甘味のあるスープは濃
厚で良かった。もっと欲しかったね。
加賀丸いもとエビのムースを包んだ真鯛のカダイフディグレレ風ソー
ス。ディグレレソースとは下側の海老入ったソースの事らしい。
白ワインでしゃれてみました。
料理長特選牛フィレ肉ステーキ 季節野菜添え、金沢大野醤油を使用
したオリジナルジャポネーズソース。確かに洋風ソースとは違うが金
沢大野産の味かは不明です。
もちろん赤ワインを依頼したのだが白の方が良かった。ソースのせい
かも。
真鯛昆布締めと焼きおにぎりのなごみ茶漬け鯛の出汁と山葵・香の物
。これは珍しい。洋風茶漬けというか不思議な食感だが長生きはする
ものだ。
ブランデーのロックです。披露宴の催しもあるし料理も次々に出てく
るので忙しい。ガンガン飲んでいたら隣の女性から「お酒強いね」と
言われた。卑しいという意味だな。
クレームブリュレと加賀棒茶のアイス季節のフルーツとウェディング
ケーキと共に。
酒を注いでまわるということが一切ないので整然と進んでいくという
印象の披露宴でした。こういうのもさっぱりして良いです。
たまに使うチェンソーだが大分切れ味が鈍くなってきた。チェーンの
目立てを行うと切れ味は回復するらしい。
丸みをおびた部分が減ってくるので30°の角度をつけると良いという
。
必要工具はこれだけだ。左側のディプスゲージはチェンソー附属工具
としてついていない。ヤスリを附属としておきながらゲージをつけな
いとは不親切極まりないが仕方がない。アマゾンで購入しました。
チェーンの上にのせると角度が出るようになっています。
一歯ずつ丁寧に研いでいきます。
この部分は歯が食い込む際のガイドになるらしい。歯が減ってくると
これが出るのでその部分を削ります。
平ヤスリはこの部分用です。目立てをした後の肝心の切れ味だが前よ
りは良いが今一つというところです。チェンソーで木材の芸術作品を
作っているビデオを見ると、いともたやすく切っているのだが馬力が
違うのか、それともチェーンの材質が違うのだろうか。思考は続きま
す。
一度は行ってみるべきだと思うし行っても大したことは無いという思
いが交錯していたのであるが話のタネにするべく行ってみました。青
森市内からは約2時間余りの行程です。途中直線道路が続くところが
あって快適なのだが道の脇には鉄板で風よけのようなものが作られて
いて、風の向きを知らせるランプも設置されていました。
近くに小さな漁港があります。この日は天気も悪いし訪れる人もなく
寂しい雰囲気です。
この地は太宰治が訪れて、小説「津軽」にそのことが書かれているこ
とで有名らしい。
太宰が2人で泊まったという奥谷旅館。現在は観光案内所になってい
るのだがこの日は閉まっていました。こんな日によほどの物好き以外
来るはずないよね。
お約束の高台からの景色ですが函館側はうっすらとしか見えなかった。
ここに立った人は必ず中央の赤ボタンを押すという。大音量で歌が流
れるということだったがそれほどでもなかったです。道路反対側にあ
る駐車場でバスの運転手がまたかという顔で見ていました。のような
気がする。
青森市から十和田湖に向かう道路沿いにあります。地名は幸畑だが映
画「八甲田山死の彷徨」で聞いた地名のような気がします。雪中行軍
の途中道であるわけだがこの辺りはなだらかな丘という印象です。
バス停の名前は幸畑墓苑となっていて墓地公園として整備されていま
す。
明治35年青森歩兵第五連隊は雪中行軍を実施するのだが途中悪天候
で大部分の者が死亡するという惨事になった。世界最大級の山岳遭難
事故とされています。行軍道中の大滝平では後藤伍長が立ったまま仮
死状態で見つかったらしい。これは馬立場にある記念碑のレプリカで
す。
当時歩兵の弁当だが凍って食べることは出来なかったらしい。
冬山に対する装備が貧弱で寒さに対する知識も少なかったらしい。
映画では神成大尉と山口少佐の指揮系統に齟齬があり遭難の一因とさ
れているが、当時の行軍そのものが無理なものであったらしい。また
救出された山口少佐は病院で責任を取って拳銃による自殺をしたこと
になっているが凍傷で不可能だったという。陸軍の記録では心臓麻痺
とされているが、不祥事の発覚を恐れた陸軍が毒殺したという説もあ
ります。
明治36年に創設されたらしい。山口少佐や下士官、そのほか200
名あまりの墓碑が並んでいます。
青函連絡船が廃止になった後、青森の記念碑にしようと平成2年青函
航路の花形だった八甲田丸を往時に近い状態で海上博物館として保存
している。
当時は青森駅から橋を渡って直接船に乗れたのだが現在橋は取り払わ
れています。階段を上って船内に入るわけだが係留するため岸側の船
体には鉄骨が追加されていました。
駐車場があります。
青函連絡船には3回乗船しているわけだがこの八甲田丸に乗ったかど
うかは覚えていない。約4時間の乗船で甲板に出ると煙突からの煙の
臭いがひどかったのを思い出します。函館からの帰りでは船を降りる
とすかさず走り出して汽車の座席を確保する人が多かったのは懐かし
い思い出だ。